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1. 2000年代の原油価格
2000年以降の原油価格は新たな段階に入ったといえる。1986年から1999年までの間、ドバイ原油の年間平均価格は、湾岸危機(イラクによるクウェート侵攻)が発生した1990年を除き、バレル当たり20ドル以下の水準で推移していた。特に、1999年2月にはアジア通貨危機によるアジアの需要減退や供給増で、1986年の油価暴落以来12年ぶりの安値を記録し、ドバイ原油はバレル当たり9ドル台まで下落する事態となった。
しかし、これに強い危機感を抱いたOPECの生産調整や、経済成長を背景にした需要増等によって油価は回復し、一時的な軟化局面はあったものの原油価格はほぼ右肩上がりで上昇を続け、2008年7月にはWTI原油がバレル当たり147.3ドルの史上最高値を記録するに至った。
こうした原油価格の上昇も、米国の不動産バブル崩壊を発端とする世界的な金融不安と経済悪化を契機に一転して下落に転じ、原油価格はわずか5ヶ月間でピーク時の4分の1の水準まで急落したが、中国をはじめとする新興国の経済発展に後押しされて再び上昇し、高値圏での推移を続けている。
以下に、高油価とその後の油価暴落をもたらした要因と価格の動きについて、細かく見ることとする。
2. 油価高騰の要因
2000年以降の高油価をもたらし、その後も高騰を続けた主な要因の一つは、中国に代表されるアジアを中心とした非OECD諸国(発展途上国)の需要拡大にあると言えるが、その他にも次のような要因が存在する。
- 金融緩和を背景にした投機資金の原油市場への流入
- 米国の堅調な石油需要
- 主要産油国の地政学的リスク※に対する懸念
- 急激な需要増により生じた生産余力の縮小による供給不安の高まり
- 資機材、人件費などのコスト高騰により、投資額の増加が実質的な探鉱投資の拡大に結びついていないこと
- 容易に開発・生産できる油田(イージーオイル)が掘り尽くされつつあり、将来の油田開発の高コスト化が見込まれること
- 国営石油会社の台頭による供給確保への懸念
3. 近年の出来事の影響
米国テロ事件
OPECの減産政策が功を奏して20ドル台を回復(2000年秋には30ドル台まで上昇)した原油価格は、2001年9月11日に発生した、米国同時多発テロ事件の影響による景気の冷え込みと石油需要減退で、2001年末から2002年初頭にかけて、再び20ドル以下(WTI、ブレント、ドバイの指標原油全て)に下落した。
しかし、米国経済の回復が比較的早く、石油需要もそれにつれて増加していったことから、2002年後半には原油価格がテロ事件発生以前の水準を上回る20ドル台後半となり、2008年夏までほぼ右肩上がりで上昇した。
対イラク戦争
多数の犠牲者を出した同時多発テロ事件以来、米国はテロとの対決姿勢を鮮明に打ち出し、テロ支援国家と考えたサダム・フセイン政権のイラクに対して、大量破壊兵器の査察とそれらの廃棄を強く求めた。しかし、イラクがこれに応じなかったため、2003年3月19日、米国は英国等と多国籍軍を組み、イラクに軍事攻撃を仕掛け、フセイン政権を崩壊させるに至った。
NYMEXのWTI期近物価格は、国連討議が白熱していたイラク攻撃直前の3月中旬には最高で37.8ドル/バレルまで達したが、開戦後、多国籍軍の圧倒的優位が判明したことで原油輸出の停止も長くは続かないとの期待から攻撃開始2日後には26.9ドル/バレルまで一気に下落した。
当時のイラクは国連の制裁下にあり、原油輸出には制約があったが、順調に行けば200万バレル/日程度の輸出が可能であった。しかし、その後のイラク情勢は混迷を続け、戦前の原油生産水準(約250万バレル/日)にまで回復するのに2009年まで約6年の期間を要した。
米国メキシコ湾のハリケーン被害
2000年以降では、自然災害も原油価格の高騰に大きな影響を与えた。メキシコ湾はハリケーンの多発地帯で、これまでも大型ハリケーンは沖合いの石油・ガス生産に影響を及ぼしてきたが、2005年8月末に米国メキシコ湾を襲ったハリケーン「カトリーナ」注1)は、史上最大のハリケーン被害を残した。世界最大の石油消費国である米国の石油産業の中心部が被災した影響は大きく、NYMEXにおけるWTI期近物価格は8月30日に終値で69.8ドル/バレル(2005年のWTI最高値)を記録した。
この地域は、米国の原油生産の約3割、天然ガス生産の約2割、石油精製能力の約半分を占める石油・ガス生産の中心地帯であるとともに、原油の輸入拠点でもある。カトリーナがもたらした生産停止は、最大時でメキシコ湾の石油生産の約9割(約140万バレル/日)、天然ガス生産の約8割(80億立方フィート/日)、そして8ヶ所の製油所(計180万バレル/日)に及んだ。こうした事態を受けて、国際エネルギー機関(IEA)は2005年9月2日、湾岸戦争以来14年ぶり、1974年のIEA創設以来2回目となる原油備蓄の緊急放出(200万バレル)を決定し、各国に協力を求めた。(日本も民間備蓄の3日分を融通)
このように大量の原油や天然ガス、あるいは石油製品の生産が停止した影響は甚大であったが、リグ注2)や海底パイプラインの損傷、製油所関連への被害も大きく、復旧までに長い時間を要したことも石油市場を混乱させた。
当時、原油価格の高騰に加えて、米国の平均ガソリン小売価格が史上初めてガロン当たり3ドルを上回る水準に達し、米国内では大きな社会問題となった。特に、メジャーが大型合併を通じて徹底的な経営効率化を図った結果、製油所の設備投資を抑制し、経営効率化で説明されている在庫保有を抑制する傾向が強まったことも、原油やガソリンの価格高騰をもたらしたといわれている。
投機資金の流入と原油価格の急騰
原油価格は主に需要と供給の相関関係によるファンダメンタルな要素で決まってきたが、2004年半ば頃からは投機資金の影響も大きく受けるようになった。
米国は景気対策として2001年あたりから低金利政策注3)とドル安誘導策をとっていたが、これにより、金利の安い米ドルが市場に溢れ、一方で原油等の商品先物市場が新たな市場として注目されたため、資金量を増加させたヘッジファンドや年金ファンドが、これら市場に大量に流入した。
市場では、中国に代表されるアジアの新興国や中東産油国が急速な経済発展を背景に石油需要を急拡大させていた一方、イランやイラク等の主要産油国に関する地政学的リスクによる供給不安が絶えず、石油供給確保に対する懸念が高まっていた。また、世界の石油埋蔵量の約8割を産油国等の国営石油会社(NOCs)が握る事態が生まれ、結果としてメジャーをはじめとする国際石油企業(IOCs)が自由にアクセスできる埋蔵量が限られるようになったことも、将来の石油供給が資源保有国の意向によって左右されるのではないかという懸念を生み、短期および長期の供給不安を掻き立てていた。
こうした懸念は、少しでも有利な運用先を探していた投機資金にとっては格好の材料となり、巨額の資金が石油市場へ流入して石油価格を押し上げていった。これらの資金の中には、油価の上昇によって多額の石油収入を手にした産油国の余剰資金も含まれており、原油価格の上昇が産油国のオイルマネーとなって原油市場にその一部が還流し、さらなる油価上昇をもたらした。
2007年になると油価の上昇率は徐々に加速し、NYMEXのWTI期近物価格は2008年1月3日には一時100ドル/バレルを突破、同年7月11日には瞬間的ではあるが史上最高値の147.3ドル/バレルを記録した(終値では7月3日の145.3ドル/バレルが最高値)。
サブプライムローン問題による金融破綻と世界不況
米国では低金利政策を背景に不動産バブルが生じていたが、2007年夏ごろからサブプライムローン注4)の返済不能による債権の不良資産化が問題となり始め、当該ローンの仕組み債が世界中に販売されたこともあり、信用不安、金融不安がくすぶりはじめた。こうした中で、2008年9月には150年以上の歴史を持つ米国第4位の証券会社リーマンブラザーズが経営破綻し、米国発の不動産バブルの崩壊が急速に世界的な金融不安を呼び、そして世界同時不況に発展した。
世界経済の減速により、油価高騰で既にブレーキがかかりつつあった石油需要は急速に鈍化した。そして、金融収縮によって石油市場に流入していた巨額の投機資金が一斉に引き上げられたと報道されたこともあり、2008年7月に145ドル/バレルを突破した原油価格は、わずか5ヶ月後の12月には30ドル/バレル台まで急落した。
しかし、これに危機感を抱いたOPECが大幅な協調減産に踏み切ったことと、先進国の経済回復は遅々として進まなかったものの、中国をはじめとする新興国が堅調な経済発展を示したことによって、原油価格は2009年2月の34.9ドル/バレルを底として、再び上昇過程へと突入し、2011年5月には112.8ドル/バレルにまで紆余曲折を経ながらも上昇していった。
BPのメキシコ湾原油流出事故
メキシコ湾は米国石油生産の3割近くを占める主要生産地域であるが、2010年4月20日、BPがオペレーターを務めるメキシコ湾深海のマコンド・プロスペクトで掘削作業を行なっていたリグ注5)が爆発炎上したのち倒壊し、史上最大の原油流出事故を引き起こした。
掘削地点が水深約1,500メートルの深海であり、原油の流出源となった油井の亀裂部分が海底に近かったことから漏油食い止め作業は困難を極め、流出が完全に止まるまで3ヶ月近い期間を要した。
この事故によって海中に流出した石油の量については様々な試算があるが、米国政府が委託した科学者チームは、全体の原油流出量は約490万バレル(約5.6万BD)で、このうち約80万バレルが回収されたと報告している。
この事故によってメキシコ湾の原油供給に対する懸念がささやかれたものの、米国は景気後退による石油需要の低迷で大量の石油在庫を抱えていたため、結果的に原油価格への影響はほとんど見られなかった。しかし、米国ではこの問題によって深海での石油掘削に対する風当たりが強くなり、1年以上経った今でも、メキシコ湾深海については事故以前のような活況を呈する状況には至っていない。
「アラブの春」の進展とEU通貨危機
2010年末から、2つの別な動きが台頭してきた。1つはチュニジア、エジプトから始まった中東・アフリカ諸国での民主化要求の嵐(アラブの春)であり、他はそれ以前から燻り続けていた、アイルランド、ギリシャに端を発するEU内での共通通貨ユーロの信用不安である。
前者についてはエジプトでのムバラク大統領の追放や、リビアでのカダフィ政権打倒の動き、そしてシリアでの騒動等があり、特にリビアの原油生産休止の影響はヨーロッパ諸国へと広がった。ただ原油価格に関しては後者のユーロ不安の方が大きく影響し、さらには米国景気の先行き不安とも相俟って2011年5月以降、WTIは下落傾向を強めた。
- 図 1-3-1 NYMEX WTI価格の推移

[注]
注1)ハリケーンの強さを示す5段階評価(シンプソン・スケール)で、過去3回しか例のない最強のカテゴリー5を記録。この影響により、ニューオリンズ市の8割が水没し、2,000名近い死亡・行方不明者が出た。米国史上最大の自然災害でもある。
注2)生産開始間近だったBPのサンダーホース油田(生産量25万バレル/日)は、プラットフォームが傾くほどの大被害を受けた。BPは生産開始を翌年の2006年夏に延期したが、新たな技術的問題で2008年半ば以降に再延期された。
注3)米国金融政策の誘導目標であるフェデラル・ファンドレート(市中銀行間の貸出金利)は、2003年6月には1.0%へ切り下げられ、2004年秋まで1%台で推移した。
注4)信用力の低い個人を対象とした住宅ローン。通常の住宅ローンに比べると金利は高いが、不動産担保価値評価の右肩上がりを前提にするなど貸し出し時の審査が緩く、急速に貸し出し件数が増大した中で不動産バブルが崩壊したため、不良債権化が進んだ。
注5)トランスオーシャン所有の半潜水式リグ「ディープウォーター・ホライゾン」。この事故によってリグの作業員11名が犠牲となった。
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