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このページは、石油便覧トップの中の第1編の中の第4章の中の第1節 OPECの結束のページです。




  1. 低油価からの脱却
  2. OPECの高値維持政策
  3. OPEC生産枠・目標の推移

1. 低油価からの脱却

 1990年代末の低油価はOPEC(Organization of Petroleum Exporting Countries:石油輸出国機構)産油国の財政を逼迫させた。特に、1998年から1999年の油価暴落にOPECは強い危機感を抱き、1998年と1999年に合計430万バレル/日という大規模な協調減産を決定した。かつてのOPECは、協調減産で合意しても、実際にこれを実施するのはサウジアラビア等の湾岸OPEC諸国に限られていた。しかし、この油価暴落に対しては全加盟国がさすがに危機感を強め、各国がほぼ忠実に減産を実行したことが、原油価格の回復につながった。

 この減産が実現した要因のひとつは、それまで生産枠破りの常習犯であった大産油国のベネズエラとイランが、OPECのリーダーであるサウジアラビアと協力して減産を主導したことにある。当時、ベネズエラは国家財政再建のための石油収入拡大、イランはサウジアラビアとの関係改善をそれぞれ必要としており、サウジアラビアは、他の加盟国が減産破りをする中で、自分たちだけが犠牲を払って油価回復のために市場供給量の調整役(スイング・プロデューサー)となることに不満を抱いていた。こうした事情が、3ヶ国を堅固な協力関係構築に導き、確実な減産実施を引き出したといわれている。

 さらには、OPECとは相対する立場にあるノルウェー、メキシコ、オマーン等、非OPEC産油国の協力(協調減産)が得られたことも、低油価からの脱却成功の要因として挙げられる。

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2. OPECの高値維持政策

 原油価格回復に寄与したもうひとつのOPECの施策は、2003年3月のOPEC総会で非公式に合意された、目標価格帯の範囲内に原油価格をとどめる仕組みの「プライスバンド制」の導入である。これは、原油価格を下支えする方策としてOPECが考案したもので、当初は、OPECバスケット価格が28ドル/バレルを20日間(営業日)連続で上回った場合は自動的に50万バレル/日を増産する一方、22ドル/バレルを10日間(営業日)連続で下回った場合には自動的に50万バレル/日の減産を行うことになっていた。

 プライスバンド制は、「OPECとしても高油価は望まない」という姿勢を見せるとともに、自分たちが希望する価格帯を明確に示すものであった。そして、こうしたOPECの原油価格引き上げに向けた強固な意思のもとで、油価はほぼ彼らの思惑通りに上昇していった。

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3. OPEC生産枠・目標の推移

 2000年代の原油価格は、一時的な石油需要低迷があっても、結束力を強めたOPECの生産調整によって下支えされ、堅調に推移してきた。プライスバンド制は、原油価格が大きく上昇したまま推移している現在では自然消滅あるいは休眠状態となっているが、OPECは一般に公表していないものの内部的には目標価格帯を設定していると考えられている。

 他方OPECは、極端な高油価は石油需要の減少につながり自分たちの利益にならないことも認識しており、生産数量を調整しながら価格の維持に努めている。なお、OPEC生産枠対象は2007年12月まで10ヶ国、2008年1~8月12ヶ国、2008年9月以降11ヶ国。2011年12月以降は、国別の枠が定められた「生産枠」は撤廃され、新たに12ヶ国全体の「生産目標」として3,000万バレル/日が設定された。

図 1-4-1 OPEC生産枠・目標と原油価格の推移

出所:OPECデータをベースに作成

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