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1. 精製設備能力の削減と石油産業の構造改善
第二次石油危機以降、日本の石油産業は、原油価格の大幅な上昇、国内石油製品需要の急激な減少とこれに伴う製品価格の低迷に加え、為替レートの円安傾向進展のため、空前の経営危機に直面するに至った。
このような状況の中で、1981年12月、石油審議会石油部会小委員会は、報告「今後の石油産業のあり方について」において、今回の経営危機は、本質的には石油製品需要の構造変化、石油産業の過当競争体質等の構造問題に根ざしたものであり、この構造改善のため、a.過剰設備の処理、b.リーディングカンパニーの形成を中心とする元売会社の集約化、c.生産・物流面における合理化、d.中間留分の安定供給確保、e.為替リスク対策、等を推進することが望ましいとの提言を行った。
(1)過剰設備の処理
1979年度以降の国内石油製品需要の減少により、1981年度には、当時の日本の総常圧蒸留設備能力594万360バレル/日に対し、稼働率は59.5%にまで低下し、設備過剰感が顕著となった。
このような状況下、通産省は、1982年3月の石油審議会石油部会で過剰設備の処理の進め方の了承を得た後、精製各社が提出した設備処理計画に基づいて、1983年9月末までに常圧蒸留設備能力を100万バレル/日程度縮小することを決定した。この結果、96万7,750バレル/日が削減され、我が国の総常圧蒸留設備能力は、497万2,610バレル/日となった。
しかし、その後も石油製品の需要は低迷を続け、稼働率は依然として60%前後の低水準で推移したため、石油審議会石油部会小委員会は、1985年9月に行った答申「国際化に対応する石油産業政策」の中で、今後の中長期的需要動向等を勘案すると、なお70万~100万バレル/日の過剰設備が存在しており、その処理を行うことが適切であるとの指摘を行った。
また、設備処理の形態としては、前回が製油所の装置を部分的に廃棄する方法をとったのに対し、コスト削減効果が大きい製油所単位の閉鎖を進めることが望ましいとした。
この指針に沿って、1986年度から1988年度にかけて、各社合計で42万1,000バレル/日の常圧蒸留設備の能力削減を行い、1988年度末時点における総常圧蒸留設備能力は455万1,610バレル/日まで減少した。
一方、石油産業の体質強化のためには、長期的な展望に立って、高度の技術開発に取り組んでいくことも必要であった。例えば、ナフサを燃料とする燃料電池の技術開発、分解軽油等の高度利用に必要なコージェネレーション・システムの開発等の積極的推進が、今後石油産業が強い産業として生き残っていくためには、是非とも必要と認識されるに至った。
これを受けて政府は、以上のような設備合理化、技術高度化の両面にわたって、側面から支援を行うことになり、その推進機関として1986年5月、(財)石油産業活性化センター(JPEC)が設立された。
(2)元売会社の集約化
石油産業が過当競争体質を改善し、自立的な産業秩序を確立するために、前述の1981年12月の石油審議会の指針に沿って、1984年以降、元売各社間の業務提携や合併がいっせいに始動した。
まず1984年4月1日、大協石油(株)および丸善石油(株)が、精製部門を分離したうえ、これを合併させて、コスモ石油(株)を設立した。
同年11月、日本石油(株)と三菱石油(株)が業務提携基本契約を締結したことが引き金となって、モービル石油(株)とキグナス石油(株)、およびエッソ石油(株)とゼネラル石油(株)が次々に業務提携を行う運びとなった。
1985年に入り、1月1日に昭和石油(株)とシェル石油(株)が合併して昭和シェル石油(株)が発足、1986年4月1日には、大協石油、丸善石油およびコスモ石油が合併してコスモ石油(株)が新たに発足、さらに、1989年10月、コスモ石油はアジア石油(株)を吸収合併した。
また、1992年12月1日には、日本鉱業(株)と共同石油(株)が合併し、新たに(株)日鉱共石(後のジャパンエナジー)が誕生した。こうした一連の集約化により、我が国石油産業は、7グループ、11元売会社に統合されることとなった。
2. 規制緩和の実施
業界の過当競争体質の改善と自立的な秩序確立を目指して、政府主導による石油産業の構造改革が進められる中で、規制緩和への動きも活発化してきた。
我が国の石油政策は、エネルギー供給における石油の重要性を鑑み、「石油業法」を基本法として、「石油備蓄法」、「揮発油販売業法(揮販法)」、「特定石油製品輸入暫定措置法(特石法)」や行政指導等により、石油の輸入・精製・販売の広範囲にわたり規制を行ってきた。
しかし、高度経済成長の下に、様々な分野で国際化や自由化・規制緩和が進展する中で、石油産業に対する規制のあり方についても見直しが求められ、1987年から1992年にかけて、石油業法および揮販法に基づく一連の行政指導や運用における規制緩和が実施された。その後1996年3月に特石法、2001年12月には石油業法が廃止になり、石油産業は、市場原理の下での自由競争の時代に入った。
(規制緩和の推移の詳細については第2編第2章第1節を参照)
3. 自由競争下での業界再編への動き
石油産業の再編に向けての動きとしては、まず、本節第1項(2)で触れたように、石油審議会の指針に沿う形で、1984年以降、企業間の合併や業務提携等が相次ぎ、7グループ11元売会社体制へと移行した。
規制緩和がほぼ終了した1998年以降は、メジャー石油企業の世界的な再編の流れや、国内金融業界の再編の動きを背景に、自由競争下での競争力の強化や生残りをかけて、石油精製・元売会社の合併やグループ化への動きが一段と加速した。
1999年4月の日本石油(株)と三菱石油(株)の合併を契機に、2000年7月の東燃(株)とゼネラル石油(株)の合併、2002年6月のエッソ石油(株)とモービル石油(株)の合併や、各社・グループ間の精製・物流提携の締結により、我が国の石油産業は、2006年6月には、新日本石油・コスモグループ、エクソンモービルグループ、ジャパンエナジー・昭和シェルグループ、出光興産を軸とした4極体制となった。
4. 石油需要減少見通し下での更なる再編へ
このような業界再編の背景には、地球温暖化防止対策としての省エネ・効率化の推進や産業の空洞化、さらには少子化による人口減少等による長期的な石油需要の減少見通しが強く影響している。
特に、1997年12月に京都で開催された第3回締約国会議(COP3)において採択された「京都議定書」に基づく、我が国の温室効果ガス排出削減目標は1990年比6%削減であるが、その目標達成年次(2008~2012年)が目前に迫っているとともに、次期の削減目標について、現在欧州を中心に25%以上の削減案が議論されていることから、今後石油をはじめとする化石燃料の消費削減の動きにいっそう拍車が掛かるものと考えられる。
(詳細は第1編第6章第1節および第2編第2章第2節参照)
このような状況下、石油需要の減少を踏まえた更なる再編に向け、各社間での提携や協力強化への取組みが進められており、2008年10月には新日本石油と九州石油が合併した。さらに2010年4月には新日本石油と新日鉱ホールディングス(ジャパンエナジーの持株会社)の経営統合により、新たに統合持株会社のJXホールディングが設立されると共に、7月には石油精製・販売を行う中核事業会社として、JX日鉱日石エネルギーが設立された。今後とも我が国の石油産業は、抜本的対策が必要になるものと思われる。
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